上城戸 |
下城戸 東西の山が狭まった谷の入り口に設けられて城門とされました。現在は幅18m、高さ5m、長さ20mの土塁が残り、門跡には重さ10t以上もある石が積み上げられています。外側には掘りもあり、一乗谷川とつながっていたと考えられます。 |
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西山光照寺跡 (石仏群) |
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復原町並 | |||
塀に囲まれた重臣たちの屋敷が並び、道路を挟んで武家屋敷や庶民の町屋が計画的に並んでいた様子がリアルに再現されています。発掘された石垣や建築礎石をそのまま使い、柱や壁、健具なども出土した遺物に基づいて復原されています。(有料) |
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資料館の復原町並の模型 | |||
↑当時の武士たちの生活ぶり ↓商人の家 |
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周辺のおすすめスポット ▼ |
一乗谷朝倉氏庭園 | ||
朝倉館跡周辺に点在する館跡庭園・湯殿跡庭園・諏訪館跡庭園・南陽寺跡庭園を含む4,205uは平成3年に特別名勝に指定されました。時間がなかったため全部は回れませんでしたが、今も堂々と残る池泉庭園の石組などから小京都といわれた時代の庭園の佇まいを偲ぶことができました。 |
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湯殿跡庭園 朝倉館跡から階段を登ってすぐの高台にあり、戦国の気風を漂わす荒削りで力強い石組みから、4つの庭園の中で最も古いと推定されている。山際から水が注いでいた池泉庭園だったと考えられ、中島や出島があり、発掘調査の結果で導水路や排水路の跡も確認されています。 ※写真右は「中の御殿跡」より見た「湯殿跡庭園」。 |
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中の御殿跡 山麓を削って造った屋敷の跡で、屋敷の礎石や池跡が残っています。義景の母の高徳院の居館があったとされています。 ※写真左は「湯殿跡庭園」より見た「中の御殿跡」 |
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朝倉館跡と館跡庭園 | |
唐門 | |
豊臣秀吉が朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられ、門の表には朝倉家の三ッ木瓜の紋を、裏には豊臣家の五三の桐の紋が刻まれています。唐門の前の堀にはたくさんの鯉が泳いでいます。 | |
↑↓5代当主の朝倉義景が済んだ館の跡で、6,500uの敷地には常御殿、主殿、楷書茶室、台所厩、蔵などが整然と配置されていました。上の写真に写っていませんが、東側の山際には館跡庭園の石組も見られます。写真上の中央の木の下にあるのが唐門。 |
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一乗谷朝倉氏遺跡は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代にこの地域を治めた朝倉氏の城下町の跡を遺跡として整備したものです。足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あいの東西約500m、南北約3kmの地域を指します。 |
復原町並(有料)から先に見学してもOK.。私は約1時間半ほど散策したのですが、この付近はとても雰囲気が良いのでのんびり散策するのにおすすめです。 |
★朝倉氏の歴史
朝倉氏の祖先は、但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父市)の豪族で、初めは日下部を姓としていました。甲斐氏、織田氏とともに守護代として越前の守護・斯波氏に仕える家柄でしたが、足利将軍家の家督争いなどから発展した応仁の乱(1467-77)に乗じて甲斐氏を追い、朝倉孝景は越前の守護に取り立てられて一乗谷を本拠としました。 |