野村家入口 野村家 庭園
金沢・長町武家屋敷跡
武家屋敷跡 野村家
   

 金沢・長町武家屋敷跡の見所の一つ、「武家屋敷跡 野村家」。野村家は、1583年(天正11年)、加賀百万石の基礎を築いた藩祖・前田利家の金沢城入りに直臣として従った野村伝兵衛信貞に遡り、明治3年の廃藩まで家督を11代に渡って守った由緒ある家柄です。代々奉行職などを歴任し、禄高千石から千2百石と累進して、約1千坪の屋敷を拝領しました。
 しかし、その後の武家制度の崩壊により、その野村家のお屋敷と庭園には紆余曲折が待っていました。 この周辺の多くは菜園になったそうで、野村家当時の屋敷も古木、曲水など庭園の一部を残して取り壊されて分割されてしまったのだとか。しかし、昭和の初期に加賀の支藩・大聖寺藩下橋立村の北前船の船主・久保彦兵衛の豪邸の一部が移築され、現在に至っているそうです。移築されたのは藩主を招いた「上段の間」と「謁見の間」。格式を感じる上品な装飾が施され、総檜造りの天井や江戸時代のギヤマン(ガラス)入り障子戸などに歴史を感じます。

 この「野村家」の一番の見所は、アメリカの庭園専門誌で実施された2003年の「日本庭園ランキング」で 第3位に選ばれたこともあるという日本庭園。由緒ある屋敷とはいえ、こんなにこじんまりした建物にそんな高い評価を受けた庭園が本当にあるの?と思いながら奥に進んでいくと、そこには素晴らしい空間がありました。濡れ縁のすぐ下まで曲水が迫っていて、庭園と屋敷が見事に一体化した造りになっています。

野村家 玄関口
奥の間付近から濡れ縁

→↓多宝塔、西乃屋形ほか六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみけげ石の大架け橋などが絶妙なバランスで配置され、樹齢400年以上の山桃の木やシイの木などと美しい調和をした日本庭園。名石、奇岩を擁した曲水は濡れ縁にせまり、特に「上段の間」や付書院からの眺めは格別。

野村家 庭園
鯉
階段を降りてきた所
2階茶室への階段 2階 控えの間

階段を登っていくと2階になっている茶室と控えの間に行くことができます。ここからも庭園の違った魅力を堪能できます。

上段の間と謁見の間 聲桶

上段の間と謁見の間
 久保彦兵衛の豪邸から移築された部分ですが、藩主を招いた際に使用された部屋というだけあって格調のある雰囲気です。「上段の間」(写真左側)は、「謁見の間」から一段高くなっていて、柵で仕切られ入れないようになっています。紫檀、黒壇材を使った緻密な細工造りとなっていて、格天井が総檜づくり、畳下は銅板張り。
 二つの部屋の見所の一つである襖絵は、「上段の間」が狩野派の最高峰である法眼位の佐々木泉景筆の山水画。「謁見の間」の白い牡丹の襖絵は大聖寺藩士の山口梅園作。梅園は心流剣術の名手だったそうですが、画家・浦上春琴に絵画を学んだ人物だとか。館内の襖の前には画の保護のためガラスが入っていて、美術品として価値の高さを感じさせます。また、障子戸にはギヤマン(ガラス)がはまこまれていますが、当時としてはとても貴重で珍しいものだったとか。
 「謁見の間」には「仏間」が続いていて、堂々とした金仏壇が置かれていました。

聲桶/鶯の鳥籠を桐箱に入れて、鳴き声を共鳴させて風情を楽しみます。

        ★ 鬼川文庫 ★
中庭横の廊下を渡った所に独立してある小さな展示室。掛け軸、蒔絵、刀剣など約20点が展示されており、当時の文化を垣間見ることができます。

鬼川文庫

          

茶菓工房 たろう
茶房工房たろう

「武家屋敷跡 野村家」には「茶菓工房 たろう」が隣接しています。このお店は奥に喫茶スペースがあり、野村家の庭園の一部を眺めながら、抹茶やコーヒー、甘味を味わうことができます。観光でちょっと疲れた時に一休みするのにおすすめです。お店の方では、ちょっとお洒落な和菓子などが販売されていてお土産としても人気です。

喫茶コーナーより庭園の眺め 珈琲セットなど