船の科学館   

「船の科学館」は、海と船の文化をテーマにした海洋博物館。
船の形をした本館のほか南極観測船の「宗谷」や青函連絡船の「羊蹄丸」など見所がたくさん!
大人も子供のゆっくり半日は楽しめる充実スポットです。

展望台より羊蹄丸 本館全景 海洋開発ジオラマ展示
野外展示
大型スクリュープロペラ

野外展示の大型スクリュープロペラ(上)と
               海底ハウス「歩号一世」(下)
海底ハウス
ページ内INDEX
本館  B1階 海をひらく
1階 船のあゆみ・しくみ等
2階

船がはこぶ・海をまもる等

3階 和船コーナー
展望室 宗谷・羊蹄丸・お台場景色
宗谷 南極観測船
羊蹄丸 青函連絡船
  
本 館

船の形をした本館は、海と船に関する様々な展示がされています。ゆっくり時間をとってじっくり見学しましょう。

模型による船の歴史


1階
「船のあゆみ」
「船のしくみ」
「船をうごかす」など


「船のあゆみ」のコーナーでは、西洋の帆船や豪華客船などを中心に船の歴史の変遷を模型などで見ることができます。

「船のしくみ」や「船をうごかす」のコーナーでは、船の主要部分が実物で展示され、その大きさや迫力を実感することができます。

本館1階の展示

B1階
「海をひらく」


1階を見学した後は、2階に上がる前に地下の展示コーナーへも足を運んでみましょう。
 海洋開発の現在と未来がジオラマ展示で分かりやすく紹介されており、興味深くワクワク見ることができます。

  2階 「船がはこぶ」「海をまもる」「海に親しむ」など

  船のいろいろな役割を通して船と人との様々な関わりを紹介しているコーナーで、展示されているたくさんの模型を見ながら楽しく見学できます。
  様々な物資を運ぶ貨物船のほかフェリーなどの客船、実際に戦争で活躍した軍艦、海の安全を守る海上保安庁の巡視船の模型など盛りだくさん。
  そのほか潜水艦のコーナーなどもあり、船好きには興味の尽きないコーナーです。

木/撒兼用船 せーぬ丸 「さっぽろ丸」
空母の滑走路
 ↑空母の滑走路

←戦艦「大和」
「大和」は旧日本海軍が世界最大の46cm主砲9門を搭載して極秘に建造した歴史に名を残す軍艦。完成は昭和16年ですが、第二次世界大戦中の昭和20年4月、米空母の艦載航空機の攻撃により九州南方洋上でわずか4年に満たない短い生涯を閉じました。模型は50分の1のスケールで、最終時の姿をを再現。
カーフェリー「さんふらわあ 5」 
戦艦「大和」

 3階 和船コーナー

古代から幕末・明治初期までの日本の船の歴史を精密な模型で展示紹介していて、船にそんなに興味のない方でもなかなか楽しめるコーナーです。船の科学館には、展示物を分かりやすく解説した「ものしりシート」が各展示コーナの各所に置かれていますが、それらを読むとさらに個々の船について詳しい知識を得ることができます。
和船コーナーのほかに有料の「ラジコン船コーナー」もあります。興味のある方はそちらで見学の息抜きをするのもおすすめです。

遣唐使船
遣明船
安宅船

遣唐使船
 遣唐使は7世紀から約200年、唐の高い文化や技術、仏教の経典の収集などが目的で実施されたものです。
 4隻編成で1隻に100人程度が乗船したそうですが、遣唐使船は構造も帆も簡単なもので横波に弱いものでした。当時の航海技術は半ば風任せで、まさに命懸けの航海。往復何事も無く航海を終えることは奇跡に近かったとか!

遣明船
 室町幕府は15世紀初めから1世紀半の間、17回で84隻の船を明に派遣しました。
 遣明船は使節船であるとともに貿易船であったため、150人〜200人の乗員と水・食料、多くの貿易品を積む必要があったため、大型の船が必要でした。しかし、遣唐使船のように特別の船を作ったわっけでなく、大型の船を大掛かりな改良を施して使用していました。

安宅船

 戦国時代後期から江戸時代初期の大名が編成した水軍が主に使用した軍船。巨体で重厚な武装を施しているため速度は出ないが、戦闘時には数十人によって漕ぐため小回りがきき、またその巨体には数十人から百数十人の戦闘員が乗り組むことができた。安宅船によって大規模な海戦も行われるようになった。

御座船 天地丸
海御座船 泰宝丸


檜垣廻船

 「千石船」と称される弁才船は、江戸時代前期から国内海運の主役として活躍しました。その中で、大阪から江戸に木綿、油などの日用雑貨などを運んだ船が「檜垣廻船」と呼ばれました。胴の間に荷物を山積みするために舷側の垣立が高くなっているのが特徴です。
 「千石船」には、そのほか酒樽を運ぶ「樽廻船」、日本海地方で活躍した「北前船」などがあります。

御座船 「天地丸」 
 1630年、3代将軍家光が御座船として建造した美しい朱塗りの「天地丸」は、大型関船の典型として安宅型軍船禁止以降、諸大名の模範となりました。太平の世で次第に御座船は軍事的要素を失っていきました。
 「天地丸」は建造以来、数回にわたる大修理によって、幕末の1862年に廃船となるまで、実に233年間以上、将軍の御座船の地位にありました。「天地丸」は廃船から12年後の明治7年撮影の写真も現存しています。

海御座船 「泰宝丸」
 1609年に徳川幕府安宅船の所有・建造を禁止すると、500石積以下の関船が諸大名の水軍の中心的存在となりました。その中でも、九州や四国などの西国大名が参勤交代のため領国と大坂間の海路を往来するのに使用した関船を海御座船(御召関船)と呼びます。
 これらの船は大型であるだけでなく、鮮やかな漆塗りで仕上げられて金銅金具が施され、屋形は格天井や四季山水の壁画、襖絵などで美しく装飾された豪華な船でした。

弁才船

 弁才船は17世紀前半におもに瀬戸内海で活躍していた船の形です。当時は300石積前後の中型船で、当初は漕帆兼用船でしたが、帆走専用船となって乗組員の数も少なくてすむようになり、改良が重ねられた結果、手頃で使いやすい船として大型化されて全国的に普及し、大型の弁才船は「千石船」と呼ばれるようになりました。大阪から日用雑貨を江戸に運んだ「菱垣廻船」、主に酒荷を運んだ「樽廻船」、日本海側で活躍した「北前船」も弁才船の代表です。
 幕末に洋式船が入ってくると、その技術を取り入れて明治時代に入っても経済性の高い商船として活躍しました。 

4階には東京湾とお台場を眺めながら豪華客船のダイニングルームの雰囲気の味わえるレストラン「海王」があります。
見学の合間に一息するのにおすすめです。

4階のテラスより停泊中の船

4階のテラスより
上:羊蹄丸と宗谷
 右:停泊中の船舶

→展望室より「羊蹄丸」 展望室より「羊蹄丸」など
展望室の外観↑

                  お台場のフジテレビ方面→

2階構造の展望室↓


 
南極観測船 「宗谷」
南極観測船「宗谷」

 日本初の南極観測船として知られる「宗谷」は、樺太犬タロ・ジロを取り上げた映画「南極物語」のなどで知られますが、その前後にも様々な活躍をした船です。

 昭和13年(1938年)にソ連向けの耐氷貨物船として建造されましたが、1940年に旧日本海軍の特務艦「宗谷」として第二次世界大戦に参加し、ミッドーウェー海戦などにも動員されました。
 戦後は引揚戦・灯台補給船として活躍した後、昭和31年に砕氷船に大改造されて南極観測船として6回航行。昭和37年に南極観測船の役割を砕氷船「ふじ」に譲った後は北海道で巡視船として活躍し、昭和53年(1978)に引退。その後、船の科学館にて展示公開されるようになりました。


「宗谷」のデッキ
「宗谷」の側面 「宗谷」の船尾
「宗谷」 「宗谷」
 

船内は様々な役割を持っていた多くの部屋が公開されていますが、当時の様子がわかりやすいように多数の蝋人形が配置されているので興味深く見学することができます。

士官の部屋 調理室
船員の部屋 医務室
青函連絡船 「羊蹄丸」
青函連絡船 「羊蹄丸」

 「羊蹄丸」は昭和40年(1965)に青森と函館を結ぶ連絡船として建造され、北海道の羊蹄山にちなんで船名がつけられました。昭和63年(1988)3月の青函トンネルの開通に伴って引退するまでの22年間7カ月の間に1,178万人の人々を運びました。
 引退後は「船の科学館」の所有になり、平成4年(1992)にはイタリアのジェノバで行われた「国際船と海の博覧会」の日本政府のパビリオン船となっています。その後、改装されて「船の科学館」の展示船として公開されています。
 人と海をテーマとした参加型の展示空間「シー&シップワールド」や昭和30年代の青森駅前を再現した「青函ワールド」などが見所となっています。

青函ワールド 市場の様子 青函ワールド
青函ワールド

昭和30年代の青森駅付近を再現。そのリアルな世界に思わず引き込まれます。青函連絡船に乗り込む雰囲気も味わえます。

青函ワールド 青森駅構内 青函ワールド 連絡船
 


シー&シップワールド 
      
アクセスMAP