浜離宮恩賜庭園
はまりきゅう おんし ていえん
小金井公園 
菜の花畑

  皇居や銀座からも程近く、汐留の近代的な高層ビル群を背景にゆったり風雅な佇まいで都会のオアシスとなっているのが「浜離宮恩賜庭園」です。春の菜の花が見事と聞いて、4月の第一週の日曜日に行ってきました♪
 この庭園は、承応3年(1654年)、徳川将軍家の鷹狩場に、4代将軍・家綱の弟で甲府宰相・松平綱重が海を埋め立てて「甲府浜屋敷」と呼ばれる御殿を建てたのが始まりとされています。その後、綱重の子である綱豊が6代将軍・家宣となったことから、この屋敷は将軍家の別邸となり、「浜御殿」と呼び名を変えました。そして、この風雅な庭園を愛した歴代の将軍たちによって造園や改修が行われ、明治維新の後は皇室の離宮となり、「浜離宮」と呼ばれるようになりました。
 その後、関東大震災や戦災によって庭園は大きな損害を受け一時の面影を失いましたが、昭和20年(1945年)に東京都に下賜され、翌年から都立公園として一般公開されました。昭和27年に国の特別名勝及び特別史跡に指定されています。
 海水を引き入れた潮入の池2つの鴨場を中心とした約25万uの広大な園内には、春の梅や桜のほか、四季折々の花が咲き誇っています。

 ギリギリ桜の見頃の4月第1週の日曜日は、天気も良かったこともあり、たくさんの人出でした。黄色い絨毯のような菜の花の色鮮やかさに目を奪われ、優雅な庭園と清楚な桜のコントラストに心を和ませた1日でした。  (2008・4・6)



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【主な見所】
三百年の松  菜の花畑  潮入の池
新銭座鴨場  花木園  可美真手命銅像
お花畑のピクニック風景 お花畑横の広場
三百年の松 
三百年の松
「三百年の松」の案内板
 大道芸

 大手門入口近くにある「三百年の松」は、今から約300年前に6代将軍家宣が庭園を大改修した時に植えられたもの。

 →三百年の松の前の広場では江戸時代を偲ばせる大道芸などの催しも時折開催されています。

お花畑の菜の花
菜の花畑 汐留のビル群と菜の花

菜の花
一面の菜の花
菜の花と桜 お花畑の桜の木

旧稲生神社









ボタン園あたりに咲いていた水仙
「新樋の口山」から 横堀水門
▲東京湾に面した海岸にはたくさんのボートが行き交っています。遠くに見えるのはレインボーブリッジ。この近くには水上バスの発着場もあります。 横堀水門
潮入の池と周辺

浜離宮庭園の中心をなす「潮入の池」は、御茶屋のある中島小の字島などのある「大泉水」と海岸に近くに横たわる「横堀」の2つから成っています。それぞれの池の周囲には散策路があり、「お伝い橋」などの橋を渡りながら散策をすると庭園の様々な景観を楽しむことができます。

塩入の池の横堀 「潮入の池」の横堀
海手お伝い橋 潮入の池の横堀
▲横堀にかかる「海手お伝い橋」。対岸の森の奥は「庚申堂鴨場」
中の島のお茶屋←「潮入の池」の大泉水の真ん中にある「中島の御茶屋」は将軍や公家たちの休憩所だったそうで、現在のものは昭和58年に復元されたもの。現在もお茶屋として営業しており、長蛇の列の人気。
↓「中の橋」近くのほぼ満開の桜。        
中の橋近くの桜たち お伝い橋
↑大泉水にかかる「お伝い橋」の入口
新銭座鴨場

 浜離宮には、この新銭座鴨場庚申堂鴨場という2つの鴨場があり、いずれも18世紀後半に作られたものです。鴨場の池には幾筋もの引堀を設け、小のぞきから鴨の様子を伺いながらエサとおとりのアヒルでおびき寄せ、網で即座にすくい取るという手法で鴨の捕獲を行っていました。新銭場鴨場は庭園の端の方にあり、庚申堂鴨場に比べるとこじんまりしていますが、当時の面影をよく残しています。

  
引堀と小のぞき
花木園 可美真手命銅像
可美真手命銅像
花木園

可美真手命銅像
「うましまでのみこと」と読みます
中の御門付近
中の御門付近