旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸 正面玄関
旧岩崎邸 バルコニー側

この邸宅は、明治29年(1896年)に三菱財閥を創設した岩崎家の三代当主・岩崎久彌氏の本邸として竣工されました。本格的西洋木造建築の洋館と純和風建築の和館、そして撞球館などからなっており、往時には1万5千坪あまりの広大な敷地を有していました。次第に縮小はされたものの、それぞれ重要文化財に指定されている建築は見応え十分です。

                    

 上野・不忍池の西、湯島天神近くに「旧岩崎邸庭園」はあります。私は同じ池之端にある「横山大観記念館」から歩いて向かいました。敷地が広いので、入口がどこかわからず、ちょっと違う方向に歩いてしまい、回り道をしてしまいました。
 ともあれ、入口となる門までたどり着きましたが、敷地内にはまだまっすぐ広い道が続いていて、この邸宅のスケールの大きさを感じます。まだ建物も庭園も見えませんが、豊かな緑に囲まれていて東京のオアシス散策といった優雅な雰囲気です。 すると、素敵な洋館が目の前に現れてきます。 正面玄関前のローターリーの手前には小さな事務所があり、そこでチケットを購入。そこで販売されていた案内ガイドの小冊子を購入したのですが、コンパクトながら写真もきれい。たしか300円のお手頃価格で、なかなかおすすめです。

◎洋館
  邸宅の見学は洋館の玄関から始まります。岩崎邸のメインとなる洋館部分を設計したのは、英国人建築家のジョサイア・コンドル氏。案内ガイド冊子によると、コンドル氏は「鹿鳴館」や「ニコライ堂」など著名建築物の設計を数多く手がけ、日本近代建築史に名を残す人物だそうですが、日本女性と結婚し、日本画を学んだ親日家だそうで、日本で最初に建築事務所を開いた人物でもあるそうです。その主な建築リストを見ていると日本における業績の素晴しさがわかりますが、コンドル氏の建築の真骨頂は邸宅建築あると言われているとか。このシックでWOODYな室内を見学をしただけで、当時の日本を代表する財界人の優雅な暮らしぶりとセンスの良さが十分うかがえます。
 
 1階はホールと大食堂、そしていくつかの客間と書斎からなっていて、全体的にゆったり堂々とした造り。ちょっと暗めの照明が上品でハイソな雰囲気を醸し出し、優雅な気分に浸らせてくれます。また、東側のサンルームは明治43年頃に増築された部分だそうですが、ここはまるで外にいるかのような明るい解放感。上品でとても優雅な素晴しい空間が演出されていました。また、大食堂では、この邸宅の紹介ビデオが流されていました。
 1階と2階を結ぶ大階段がまた芸術的。どっしり重厚な趣の中に繊細な装飾が彫りこまれていますが、それらはジャコビアン様式というのだとか。また、見学はできませんが、この邸宅には地下もあり、地階へ続く螺旋階段も見られます。
 2階は3つの客室とホール、集会所からなっています。客室の金唐模様の壁紙など優雅で贅沢な装飾や調度品などに眼を奪われます。そして、コロニアル調の広いバルコニーに出ると目の前は広々とした庭園を眺めることができます。
 そして、洋館の見学を終えたら、1階の端の連絡通路から和館へと向かいます。

▼広大な広さを誇っていた岩崎邸の敷地(グレーー部分)。カラー部分が現在の旧岩崎邸庭園。  ※クリックで拡大

旧岩崎邸の入口
旧岩崎邸の洋館
1階ホール
食堂よりホールと大階段 
2階客間の金唐模様の壁紙
サンルーム
岩崎邸見取図
1階のサンルーム↑の外観が写真下

◎和館
 洋館から和館へ渡ると、がらりと趣きが変わりますが、堂々とした優雅さを感じさせる空間の雰囲気は同じ。主にゲストハウスの役割を担っていた洋館に対し、和館の方は岩崎家の主な居住スペースとして使用されていました。
 現在残されているのは大広間を中心とした3部屋のみですが、従来は十数棟の日本家屋が建ち並び、岩崎家の人々や使用人の住まいとなっていました。(上の見取図の濃いグレー部分)。これら和館建築の棟梁は、念仏喜十の別名を持つ大河喜十郎と言われてます。
 書院造りの和館の内部には床の間の壁絵、襖絵、板絵などが現存しており、これらは日本画壇に大きな功績を残した橋本雅邦の作と言われ、四季折々の景観が描かれています。また、和館のあちこちに岩崎家の家紋である「三階菱」を貴重にした装飾が施されているのが見て取れます。
 旧岩崎庭園は芝生をはった洋風庭園の「芝庭」に日本庭園を組み合わせた和洋折衷の庭園ですが、書院造りの広間前には明治期の和風庭園の名残が見られます。
 和館の見学を終えた後は、前庭側に外に出て、広大な庭園を散策します。

   
 

↑入側と呼ばれる広間を囲む廊下
和館前の庭園
↑和館前の前庭。大きな手水鉢なども置かれている。

★旧岩崎庭園は、まず昭和36年(1961年)に洋館撞球館が重要文化財に指定されました。続いて昭和44年(1969年)に、和館の大広間と洋館東脇にある袖塀が指定され、平成11年(1999年)に宅地煉瓦塀実測図が国の重要文化財に指定されました。
 
★岩崎家の邸宅は本邸である旧岩崎邸以外でも、「清澄庭園」「六義園」「殿ヶ谷庭園」などがありそれぞれ一般公開されています。

↑右側が洋館で正面の木の繁みの奥が和館。

◎撞球館
 洋館の脇に緑に囲まれて建つ撞球館はジョサイア・コンドルの設計です。建築は19世紀中頃ににイギリスで流行したアメリカ木造ゴシック様式ですが、コンドルはこの建物を「スイス・コッテージ・スタイル」と呼んだように、どこかスイスの山小屋を連想させる雰囲気です。
  ここでは主にビリヤードをするための建物で、洋館に滞在した賓客と一緒にここでビリヤードを楽しむためのスペースでしたが、時にはライブラリーとして利用されることもあったようです。
 このように撞球室が独立して建てられることは珍しかったようですが、実は洋館と地下通路でつながっているそうです。

入口看板
撞球館全景
↑↓主にゲストとのビリヤードのために使用された撞球館
撞球館正面
撞球館の椅子←撞球館の外に左右1つずつ置かれていたベンチ風の木製の椅子。
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