鮮やかなオレンジ色の屋根が印象的な「二葉館」は、「白壁・文化のまち」のハイライトの一つ。「日本の女優第一号」として名を馳せた川上貞奴の屋敷だった建物を移築復原したものですが、日本だけでなく海外でも活躍した貞奴ならではの和洋折衷の造りになってます。 |
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1階・大広間 | ||||
サロンとして社交の場でもあった1階の大広間はこの邸宅の中心。要所にステンドグラスが使用されていて、落ち着いた華やかなのある部屋になっている。 |
この屋敷は、明治から大正にかけて女優して活躍した川上貞奴の住まいだった建物。元々は「文化のみち」の北端にある東二葉町の約2千坪の敷地にあり、その豪華さと和洋折衷の建物の斬新さから「二葉御殿」と呼ばれていたものだとか。 |
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「マダム貞奴」 本名は小山貞。東京の花柳界で育ち、「貞奴」の名で売れっこ芸者となる。才気煥発でエキゾチックな貞奴は、伊藤博文や西園寺公望などの多くの有力者が贔屓にしたという。 1894年23歳の時に「オッペケペー節」で有名な川上音二郎と結婚。1899年、夫の一座のアメリカ興行に同行したが、サンフランシスコ公演で、急遽、女形の代役を務めることになり、日本初の女優となった。瞬く間にアメリカ各地で人気を得たほか、パリ万博での公演の際にはフランス政府から勲章を授かるなど、「マダム貞奴」の通称で一躍有名になった。 しかし、1911年に夫・音二郎が病で死去すると、しばらくして大々的な引退興行を行い、女優として第一線を退いた。 |
川上貞奴 (1871〜1946) |
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1階展示室 旧食堂 貞奴の生涯を紹介するパネルや女優として活躍していた頃の資料が展示されています。 |
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1階展示室 和室 | |||
創建された当時のままの1階和室部分は、国の文化財に登録されています。貞奴の愛用品などが展示され、当時の暮らしぶりが伺えます。 |
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階段 | |||
大広間から2階に続く階段もこの邸宅の魅力の一つ。ウッディな手すりと赤い絨毯が落ち着いた雰囲気。 右上:2階から見下ろした階段右下:階段を上がった2階の踊り場 左下:1階の大広間より |
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2階展示質 郷土の文学資料展示 | |||||
直木賞作家・城山三郎氏の書斎を再現 |
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2階の4つの展示室は、元は書斎や寝室、浴室などだった部屋ですが、坪内逍遥をはじめ、城山三郎(直木賞)、小谷剛(芥川賞)、江夏美好(田村俊子賞)、春日井建(迢空賞)など名古屋を中心に郷土ゆかりの文学者や作家たちを資料やパネルで紹介するコーナーになっています。 |
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お近くのスポット | |||||
※2階には他に2つの和室があって、貸室となっています。ちょうど人形展を開催中で、先生や生徒さんたちのステキな作品がたくさん展示されていました。 |
旧豊田佐助邸 |
撞木館 |
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