二葉館 正面より
二葉館

鮮やかなオレンジ色の屋根が印象的な「二葉館」は、「白壁・文化のまち」のハイライトの一つ。「日本の女優第一号」として名を馳せた川上貞奴の屋敷だった建物を移築復原したものですが、日本だけでなく海外でも活躍した貞奴ならではの和洋折衷の造りになってます。

   
1階・大広間
大広間 階段より
1階大広間
大広間ステンドグラスサロンとして社交の場でもあった1階の大広間はこの邸宅の中心。要所にステンドグラスが使用されていて、落ち着いた華やかなのある部屋になっている。

 
 「文化のみち」の歴史的建造物の中でも、その印象的な外観からその異彩を放っている「二葉館」。館内に入ってみると、モダンでシックな雰囲気にうっとり〜。

 この屋敷は、明治から大正にかけて女優して活躍した川上貞奴の住まいだった建物。元々は「文化のみち」の北端にある東二葉町の約2千坪の敷地にあり、その豪華さと和洋折衷の建物の斬新さから「二葉御殿」と呼ばれていたものだとか。

 女優として一世を風靡した川上貞奴は、夫の死の7年後、46歳の時に女優を引退しますが、その後、「「電力王」と呼ばれた実業家・福澤桃介と結ばれます。2人が知り合ったのはまだ桃介が学生の頃でしたが、お互い惹かれあったものの、お互いに別の相手と結婚 (桃介は福澤諭吉の娘婿)。 長い年月を経て、やっと一緒に暮らすようになった2人の住まいが「二葉御殿」で、政財界など各方面の著名人が集うサロンとなったそうです。2人は公私ともに支え合い、は晩年まで恋人同士のように仲睦まじかったとか。

川上貞奴と福澤桃介 その2人が暮らした「二葉御殿」は、紆余曲折を経て平成17年、現在の場所への移築復元され、「文化のみち・二葉館」としてよみがえったそうです。



二葉館 道路側より             

      「マダム貞奴」
 本名は小山貞。東京の花柳界で育ち、「貞奴」の名で売れっこ芸者となる。才気煥発でエキゾチックな貞奴は、伊藤博文や西園寺公望などの多くの有力者が贔屓にしたという。
 1894年23歳の時に「オッペケペー節」で有名な川上音二郎と結婚。1899年、夫の一座のアメリカ興行に同行したが、サンフランシスコ公演で、急遽、女形の代役を務めることになり、日本初の女優となった。瞬く間にアメリカ各地で人気を得たほか、パリ万博での公演の際にはフランス政府から勲章を授かるなど、「マダム貞奴」の通称で一躍有名になった。
 しかし、1911年に夫・音二郎が病で死去すると、しばらくして大々的な引退興行を行い、女優として第一線を退いた。
川上貞奴

川上貞奴
(1871〜1946)

旧食堂

1階展示室 旧食堂

貞奴の生涯を紹介するパネルや女優として活躍していた頃の資料が展示されています。

 1階展示室 和室
展示室・旧婦人室 展示室・旧茶の間

創建された当時のままの1階和室部分は、国の文化財に登録されています。貞奴の愛用品などが展示され、当時の暮らしぶりが伺えます。

着物 旅行かばん 展示室・旧書斎
階段

大広間から2階に続く階段もこの邸宅の魅力の一つ。ウッディな手すりと赤い絨毯が落ち着いた雰囲気。

右上:2階から見下ろした階段
右下:階段を上がった2階の踊り場
左下:1階の大広間より


1階より階段
2階から見下ろした階段
2階 踊り場
2階展示質  郷土の文学資料展示
展示室の本棚 城山三郎氏の書斎

直木賞作家・城山三郎氏の書斎を再現

2階の4つの展示室は、元は書斎や寝室、浴室などだった部屋ですが、坪内逍遥をはじめ、城山三郎(直木賞)、小谷剛(芥川賞)、江夏美好(田村俊子賞)、春日井建(迢空賞)など名古屋を中心に郷土ゆかりの文学者や作家たちを資料やパネルで紹介するコーナーになっています。

お近くのスポット

※2階には他に2つの和室があって、貸室となっています。ちょうど人形展を開催中で、先生や生徒さんたちのステキな作品がたくさん展示されていました。

人形展


旧豊田佐助邸
撞木館